嘘つかなくて良いよ


「「愛してるよ」なんて嘘つかなくていいよ」と言う彼女を愛していた。
って言ったら怒られそうだな。「好きだった」ぐらいに訂正しておこう。この言葉の真意を僕なりに推理していた時期もあったが、今ひとつ真意が読み取れずに付き合って半年たつ今はどうでも良くなってしまった。
彼女の名前は小山茂美(こやましげみ)。最初は夜の海をうつした様な長い黒髪とそれと同じ色をした鋭い瞳といった外見に引かれた。外見通りクールなのに、以外に天然ボケな所。僕が落ち込んでいる時、そっけないけど言って欲しい言葉を言ってくれる。
 6月の湿気た空気を扇風機が掻き分ける。茂美は僕の部屋にいた。お互い話をするでもなく自分のことをしていた。
「来週暇なんだけど」
茂美がポツリとつぶやいた。
「来週の土曜日ならバイト休みだけど」
茂美は前髪をかきあげた。了承の意らしい。
「どこが良いん?
「まっつんの行きたいところで良いよ」
ちなみに、まっつんというのは僕のあだ名だ。茂美しか、そう呼ばないが。
「じゃあ、回転寿司にしようかなー?」
「それは嫌っ!」
魚嫌いな茂美をからかってみた。ふと、頭の中にひらめきが生まれた。
「ちょっと、待ってて」
小走りで階段を下りる。古い木造家屋はミシミシと音をあげる。
一回のレターラックから。新聞屋にもらったチケットを母が入れていたことを思い出したからだ。それをつかんで、自室に戻った。
「これ、土曜日なんだけど、よかったら一緒に行かない?」
そう言って、オーケストラのチケットを見せる。
茂美は目を細めた。無言でチケットをひったくる。
僕が怪訝そうな目を向けたのに気づいたのか、小さくゴメンと謝罪の言葉を入れた。けど、心あらずといった感じだった。
××フルハーモニィー?尋ねるように、呟く。
「どこの公演か気にするってことは、クラシックとか好きなの?意外・・・」
「そういう訳じゃないけど・・・」
なんか、地雷踏んじゃったかな?



オーケストラの公演の日になった。待ち合わせ場所で、キョロキョロと辺りを見回す茂美は黒のワンピースに黒のハイソックスに、黒の・・・とにかく喪服のようだった。いつもと服装が違って、可愛かったけど。
「まっつん・・・」渇いた声で呟いた。思わず、大丈夫?と声をかけないといけないような気持ちにさせてしまう、声だった。
「まっつん、遅いぞ」
だけど、その言葉をかける必要はなくなったように思えた。いつも通りの声だったから。さっきのは、僕の気のせいだったのだろう。

クラシックは詳しくなかったが、公演には感動した。この人たちが上手いのかどうかはよく分からないが、そんなことはどうでも良い。
僕の耳には彼女の渇いた声がこびりついている。
ホールにはおしゃれな中庭があった。白い砂利、や水路で自然を表現しているらしい。
そこを、二人でブラブラする。
「あのさぁ」
茂美が話しかけてきた
「どうしたの?」
「なんでもない」
というやり取りが何回かループされている。やっぱり何かあったのだろう。あるべき場所に収まった感じだ。
「まっつんのお父さんはファンキーな感じの人で良いねぇ」
水路の波をみながら、茂美はポツリとつぶやいた。
風が、夜の海の色をした髪の毛を踊らせた。
「この歳にもなってこんなことで悩むなんて、って言われそうだけど」
言わないよ、と言葉を挟んだ方がよかったのかもしれない。
水路の波をみつめながら、茂美はポツリとつぶやいた。
「私が小さいときにお父さんは離婚して出ていちゃったのだけど、会えないの。」
「オーケストラでバイオリンを演奏してるのは、知ってるけどね。どこのオーケストラかも知らないし。」
「今日も、もしかしたら、お父さんがいるかも?なんて、本当にバカみたいなこと期待してたの。うん。」
「あんなに、好きだったのになぁ…あんなに優しかったのになぁ…」
何か、言葉をかけるべきか。
「「愛してる」なんて、嘘つかなくていいよ」
その言葉が視界を覆った。中途半端な言葉は無用だと思ったので、口をつぶった。
泣いてるのかな?僕は彼女が泣いている姿を見て許されるのかな?
「死んでるわけじゃないなら、会える確立は大きいよ。」
「僕が、探し出す。今すぐは無理かもしれないけど、きっと。なっ。」
あれ、自然と言葉が出てきた。
「えっ?」
茂美は驚いたようにも見えたが、こうなることをある程度予測していたようにも見える。
「会いたいのだろ?お父さんに」
「でも、会って何話したら良いか分からないし。お父さんは私と会いたくないかもしれないし」
茂美はまだ何か言いたげだったけど、大きく深呼吸をした。
「…会いた…い…よ」
噴水のパターンが変わった。
そうだ、明日、いや、彼女と別れてから、大きな本屋さんに行こう。
オーケストラの雑誌を片っ端から読むんだ。彼女の父に関する情報があるかもしれない。
家にパソコンは無いけど、携帯ならある。本で得た情報をもとに検索するんだ。
彼女のお父さんを、彼女が過去に落としてきたものを。そして、僕の…
「大丈夫。世間なんて狭いものだから」
「大丈夫、うん。きっと大丈夫。」
自分に言い聞かせるように何度も大丈夫を呟いた。
沈黙。
正確には、茂美のすすり泣く声。
今まで、僕は、彼女のことを何も知らなかったという事実を突きつけられた。こんなに、弱い子とは思わなかった。豊かな表情の持ち主だとは思わなかった。
「ありがとう…ね」
茂美の感謝の言葉に、僕は愛してるよと返した。何も、返事が無かった。僕の言葉が形式的なものでなく、本心から出たもので、それを彼女が理解してくれたからだろう。
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